以前、友人に言われたある言葉が、今の私の美活意識を育てるきっかけになりました。
当時、まだ若かった私は、普通よりもちょっとは美人だろう、ブスではない方だろうと思って毎日を過ごしていました。
そんなある日、仕事の関係上、日本と各国海外を半々くらいで生活しているグローバルな友人と食事をしながら飲んでいたときのこと
ミカママは大ダメージ(+_+)ひゅーん、ライフ0ゼロ!
彼は英語圏の生活のせいか?専門職で本も出版されてる方で頭よすぎるせいか?天然な性格のせいか?
彼の話しはいつもストレート直球なのはわかっていたのですが、外人圏って女性を褒めるんじゃないのか(=_=;)???
とにかく、グサッと瞬間秒殺!
しかし、
ようは、
見た目綺麗な子なんて山ほどいるけど、中身が可愛いとか美人な人ってあまりいないよ!という、最上級の褒め言葉を言いたかったようなのですが、その時の私は「あしたのジョー」最終回状態。真っ白になっちまった。。。
彼に悪気はないのだけど、しばらくショック。。。。
そして、数ヵ月後、ある日ふと思ったのです。
カフェで待ち合わせをしていた時のこと。正面ビルにハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーさんの美しい化粧品か映画の大きな広告がありました。大好きな女優さんなので綺麗だなぁと、ぼぅと見つめていると、隣のテーブルから30歳程の女性二人の会話が何気に耳に入ってきました。
知り合い女性の批判話を始めて盛り上がっていました。そしてどうやら、彼女たち曰く、彼女たちよりもその話の女性は美人じゃないらしい。「全然、美人じゃないし」「可愛くないからね」とか「ブサイクのくせに」と、それも彼女たちのネタになっていました。
なんだか、彼女たちの話がブサイクだわ。
隣の彼女たちは、自分たちがその話のネタの女性よりも美人だと思っている。確かにブサイクではないけれども、超絶美人でもない。でも、正面のアンジェリーナと比較するとブサイクになるかもしれない。でも、本人たちはネタの彼女よりは美人だと思っている。
美人じゃない…
ハッ。。。。(@□@)!!!!!!!!!
それは、彼女たちの勝手な「自分美人度メーター」ではないのか!?
例えば美人のレベルを、超美人が10でブスが1、中間の5が普通とすると、ほとんどの子は6~9が自分の存在位置だと感じているのではないだろうか?
あ!私もそうかも!なんだ、その、自分を安心させるための変な位置。
そして、私は明確に悟ったのです!
「凄い美人!君は世界一の美人!君以上の美女なんてこの世に存在しないよ!」って具合に褒められると、私はそこまで美人じゃないと言うけど、逆に素直に、「そんなに美人じゃないよね、十人並みくらいだから決してハリウッド女優にはなれないね」って言われると怒る。事実なのに。
「すごい美人じゃないよね」「ブスじゃないよね」というレベル位置は同じくらいなはずだが「美人じゃない」という言葉に傷ついた私。でも、確かに超絶美人でないことは確かなのでハリウッド女優と競いたいとも思わないし、そもそも、その土俵に上がろうと思わないし。。。
じゃぁ、
そのあいまいで適当な自分安心の為の美人レベル必要か?
いらないな(=_=)
そもそも私は、世界美人コンクールや美女コンテストに出たことも、出ようと思ったこともなかった。美人度を本格的に競った覚えはない。なのに、自分にちょい美人や綺麗のレベルを感じてなんとなく安心していたのはお馬鹿さんでした。
すごーーーく何かをハッキリと理解したのと切り捨てた瞬間でした。
その当時、世界で最も美しい女性という記事にもなっていたアンジェリーナ。私も大好きな女優さんですが
私はアンジェリーナ・ジョリーにはなれないが、
アンジェリーナ・ジョリーも私にはなれない!(-_-)うん!
外見、中身、その綺麗か美人かの人との差、中くらい安心度、比較レベルにとらわれ過ぎていると大事なものを見失っていまいます。
そんなのは俄然もったいない!
そのさとり後、今は、楽しんだり、日々の素敵を感じたり、Happyを増すために、お洒落、美容、美活、菌活、健康日々をしていると感じています。
ボロボロのお肌やグシャグシャの髪やヨレヨレの服、ストレス、身体のむくみや疲れ等では気分も上昇しませんよね。
目標は美人になるためではないのです、日々を楽しむためです(^_^)そして、結果、内側も外側も自然と美人になれば一石二鳥なのですv(^_^)v
以前、私に「たいして美人じゃない」と言ってくれた友人に感謝なのです。